ブログ開始

ヴァイオリン 青木知子

こんにちは。
青木知子といいます。
ヴァイオリンを弾いています。
本日からブログを始めようかと思います。

神戸に生まれて、名古屋と横浜で育ち、今は横浜で生活しています。
ヴァイオリンは3歳からスズキメソッドで始めました。

小学校ではバスケ、ソフトボール、水泳、陸上部などに入り、運動は好きでした。
あまり興味がないことは頭に入ってこないので、ルールがわからないままやっていました。

中学校では合唱部、吹奏楽部に所属しました。
合唱部はすごく熱心で楽しかったのを覚えています。
吹奏楽部は、コントラバスを担当。
初めてドイツ音名を知りました。最初はB(ベー)と言われても意味不明だったので、よく自力で覚えたと思います。
反抗期もあったのか、部活は好きな時だけ行っていました。

中学校2年生から音楽教室に入り、楽典や聴音を習いました。
そこで出会った先生の教え方が神がかっていて、嫌いな座学がスッと身体に入ってきました。

その後は無事音高に入ることができ、楽しくて楽しくて仕方がない毎日でした。
同じ感性を持った友達、音楽ばかりの授業、個性豊かな先生方、、、、毎日が刺激的でした。
3年間1クラスだったので姉妹のような感覚でした。
自分らしくいられた3年間だったと思います。

大学に入ると音高時代の友達が減り、少し寂しく感じましたが、学部からの同期も増えたので新しい環境という感じでした。
一方で、『競争』の意識が芽生えた気がします。
気は強いですががここまで『競争』を意識したことは今までなかったので、大学、大学院とずっと神経が張り詰めている感じでした。
大学から性格も変わった気がします。
より神経質になり、人の目を気にするようになった。高校時代の、自分らしくいられた私はあまりなかったです。

楽しいことも沢山ありましたが、頭の中には「練習しないと」、「上手くならないと」、「下手だと思われないようにしないと」ばかりでした。
自分が何をしたいかなんて考えることは全くなく、人目を気にする毎日でした。

そのストレスをお酒で爆発させていました。
「朝まで飲んで、少し寝て、弾く。」が多かった。
厳しい家だったので、あの手この手を使って飲みに行っていました。
今思うと、お酒と楽器でバランスを取らないとダメなくらいになっていたんだと思います。
とにかく辛かった、、、。試験、オーディション、コンサート前はお酒を飲まなかったので、本番後は余計に荒れました。

そんな学生生活でしたが、学部2年生から受講したマスタークラスで、少しずつ救われる時間が増えました。
先生方の演奏は心に沁みわたり、レッスンでのお話は録音して何度も聞き返しました。
先生方と出会えたことは私の人生において、一生忘れられない出来事です。

院を修了した後は、母校で雇ってもらいお仕事をいただきました。
教える仕事、弾く仕事、知っている先生が多かったので、安心しながら働けました。



本日はここまでにします。
これからよろしくお願いします😊














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